41. アンチ・エイジング(抗加齢医学)のお話し
 アンチ・エイジングという言葉が最近よく言われています。抗加齢医学に基づいた老化防止法のことで、いろいろなサプリメントが販売されています。前回も述べましたが、これらの多くはあまり効果は期待できません。「鰯のアタマも信心から」といいますが、まさに信じるものは救われるといったところでしょうか。現在のところ、ある程度効果が実証されているものは、GH(成長ホルモン)とDHA(デハイドロエピアンドロステロン、副腎皮質ホルモンの一種で、DHEAとも表記します)くらいです。もちろん日本ではまだアンチ・エイジング薬としては認可されていませんし、認可されたとしても、いずれも使い方を間違えれば副作用が怖いお薬ですので医師の管理下でしか使えないと思います。ではこれらのお薬を使えば、本当に永遠の若さを保てるのでしょうか。

 テレビに出てくる俳優さんは、実際の年齢よりずいぶん若く見えます。聞くところによれば、アンチ・エイジング療法をされている方もおられるようですが、多くの場合、いわゆるプチ形成(ちょっとした美容形成手術)を受けているようです。日本人はまだ形成手術と聞くと尻込みしますが、「冬ソナ」でブームとなったお隣の韓国ではプチ形成が流行っているとのことです。形成外科領域でも手術の技術はどんどん進歩しており、シミ取りにはレーザー、シワ取りにはコラーゲン注射、フェイスリフト(重力の関係で顔の両側が年齢とともに垂れ下がってきますが、それを持ち上げる手術)にも特殊な糸を皮下に埋め込んでそれで引き上げるといった、いわゆる日帰り手術が可能となりました。もちろん健康保険は効きませんが、昔のように顔にメスを入れるというイメージではありませんので、抵抗はなくなりつつあるようです。実際、形成外科医は収入もよく、若い医師の間でもなりたいという希望が増えてきています。

 では見た目が若くなれば、それでアンチ・エイジングといえるでしょうか。医学的には外見が若くなってもアンチ・エイジングとは認められません。アンチ・エイジングとは、その名の通り細胞レベルで歳を取らないということで、現在のところは完全なアンチ・エイジングはまだ不可能です。先程述べたお薬も若返りの特効薬ではなく、細胞を賦活して、老化のスピードをある程度抑えるというくらいの効果しかありません。身体の中身を若返らせ健康を保つには、薬よりもなによりも、昔からいわれている通り、イライラしない、ストレスを貯めない、怒らない(怒りますと交感神経系が活発になりますので、身体のいたるところにストレスが蓄積することになります)、いつも笑顔で(心の中から。顔だけではありませんよ)ということにつきるでしょう。

 スクエアダンスは競技性がなく、多くの人と触れあい、話し合う機会が得られますので、理想的なアンチ・エイジングスポーツといえます。ただ人によっては、なかなかうまく踊れない、間違えるとイヤな顔をされる(逆に他の人が間違えてセットを壊すとイライラしてしまう)などでストレスが貯まってしまうことがあります。「趣味の領域」、「かが遊び」といった気持ちでスクエアダンスをされた方が、医学的にはよいと思いますがみなさんどうでしょうか。

42. 思い込んだら(重いコンダラ)
 「巨人の星」というマンガは、テレビでも放映されていましたのでみなさんご存じだと思います。その主題歌で。「♪〜思い込んだら 試練の道を 行くが男の ど根性」という歌詞がありました。何かの番組で、あるタレントさんが「思いこんだら」というところは、「重いコンダラ(コンダラとはどういう意味か判らなかったと言うことですが、グラウンドをならす重い石のローラーをイメージされていたようです)」だと思っていたとお話しがあり、爆笑した記憶があります。日本語もなかなか難しいものですね。

 みなさんご承知の通り、巨人の星では主人公の星 飛馬が、鬼のように厳しい父の星 一徹から猛烈なしごきを受け、文字通りのジャイアンツのエースになるというお話しですが、その内容から考えれば「重いコンダラ(?)」を引きずり回して足腰を鍛える姿が何となく想像できます。

 スクエアダンスの楽しみ方は人それぞれです。ストレス発散に例会に来られる人、ダンスよりは仲間とのお話が中心の人、スナックが楽しみの人、スクエアダンス道を究めようと思っている人など、会員のスタンスはみんな異なっています。セットを組んだときに、スクエアダンスに真剣に取り組んでいる人は、時にあまり熱心でない(よく間違えることの多い)人がセットに加わるとイヤな顔をされることがありますが、これは気をつけた方がよいと思います。たかが遊びと割り切る、自分もビギナーの時はあまりうまく踊れなかった(上のレベルに行ったときのことを思い出しましょう)といったスタンスが大切だと思います。あまりよく踊れない人もベテランに頼ってばかりではなく、少しでもうまく踊れるように努力した方がスクエアダンスがより楽しくなります。

 千代田SDCは多くの会員さんの協力と、役員の方々の並々ならぬ努力によって成り立っています。会員数が増えるにつれて会員間のレベル差も大きくなり、少しでも会員のレベルアップを図りたいとお考えのコーラー、キュアの皆様は大変な努力をされていると思います。私たち会員はそれに答えるべく頑張らなければいけないと思いますが、それがストレスとならないように心掛けたいものです。ダンス中は笑顔で(笑いは健康の元です)、自分が間違えたらゴメンなさい(素直になりましょう)、他の人が間違えてもイライラしない(心をひろく持ちましょう)、たかがダンスじゃないですか。

 「重いコンダラ」は、仕事以外ではあまり引きずり回したくないと、個人的には思っています。

43. ダンスと老化防止

歳をとると、いろいろなことが面倒になります。動くことはもちろんですが、考えること、本を読むこと、ものを作ること(料理、裁縫、オーシャンウェーブの原稿を書くこと??)などが面倒になってきます。
若い頃のように一定の仕事をしなければならないなどという制約がなくなりますと、人間はより億劫になっていくようです。でもこれは医学的にみて、好ましいことではありません。
何もしなくなってよくなったからといって何もしないと、本当に何もできない人間になってしまいます。「小人閑居にして不善を為す」といいますが、我々凡人はやはり何かしらの用事を作ってでも身体やアタマを動かした方がよさそうです。
ではどのようなことが老化防止に一番有効なのでしょうか。

アメリカの新聞のUSATodayの記事によると、fun(楽しみ、遊びといった意味でしょうか)がアルツハイマーの予防になるということです。いろいろなfunがありますが、高齢者のアルツハイマーになるリスクを予防する効率は、何もしない人に比べて、読書:35%減、楽器演奏:69%減、頻繁なダンス:76%減と、ダンスが群を抜いていることが判りました。これは、受動的なもの(本やテレビドラマなど、与えられたものをみて考えるだけ)よりは、能動的なもの(新しいものを創り出す、楽器演奏では新しい曲を弾く、ダンスでは新しい動きを覚える)の方がより効果的であることを示しています。

スクエアダンスでいえば、いつも踊っている動きばかりをするのは効果的ではなく、新しいコールを覚える、覚えたコールでもひねったものを取り入れて(ワンスアンドハーフ、クオーターなど)コールしてもらうといった積極的な姿勢が望ましいことだと思います。

千代田の例会では、幸いなことに(?)かなり難しい、ひねりを加えたコールがかかりますので、他のクラブよりも会員の皆さんはよりよい刺激を受けて、ますます若さ(?)に磨きがかかるのではないでしょうか。

44. 希少動物と再生産

パンダは皆さんよくご存じだと思います。千代田スクエアダンスクラブには、日本パンダ保護協会事務局長の斉鳴さんがおられ、何人かの会員さんはその会の会員ですのでいっそう親しみ深いと思います。数年前は全世界にはパンダは1000頭くらいしかいなくて、絶滅の危機に瀕していたそうですが、日本パンダ保護協会などの努力で現在は1500頭くらいになったそうです。それでも絶対数は少なく、稀少動物に指定されて手厚く保護を受けています。
絶滅してしまった動物は日本では朱鷺(トキ)が有名ですね。数十年前は日本全国どこにでも居たということですが、乱獲、農薬の影響などでついに絶滅してしまったことは記憶に新しいところです。現在は中国から寄贈された朱鷺が飼われているようですが、日本全国に広まるのに何年かかるか判りません。

一般に、種によって多少違いますが、自然の状態で急速に絶滅へ向かう固体数の数は、だいたい200といわれています。個対数が200を切ると、もはや種としての存続に赤信号が灯り、そのままでは近いうちに絶滅します。さらに個対数が200より減ってくると、今度は近親交配が増えてしまい、同じような遺伝子を持つものが多くなります。そうなると、遺伝的に劣勢の特性が表面化するという現象が起こります。特徴的なのは、生物の体の左右のバランスが極端に崩れてくる場合が多く、翼の片方だけが大きい鳥や、ひとつのヒレだけが巨大化した魚などが生まれてくるといわれています。こういう兆候が現れてくると、繁殖能力が著しく衰えた固体が増えてしまい子孫ができないため、結果として全体の数がさらに減少し絶滅へのスピードが急加速されます。

少しお話しは飛びますが、「ネッシー」という名前はご存じでしょうか。イギリスはネス湖という奥深いところにある湖に住んでいるといわれている幻の生き物で、恐竜の生き残りという説もあります。ただこれに先程述べた種の絶滅の論理をかぶせると奇妙なことになります。つまり「ネッシー」は、その正体が絶滅をまぬがれた恐竜であると仮定した場合、彼らはネス湖という小さな世界に閉じ込められてきたことになります。しかも、数は決して多くありません。ということは、何億年という年月の間に絶対数の200を切り、さらに近親交配が進んで、繁殖能力を著しく低下していったと考えられ、現在まで生き残っているはずがない、ということになるわけです。このように考えると、夢のない話になってしまいますが、「ネッシー」(ほかにも雪男とかツチノコなども)は存在しないことになってしまいます。

スクエアダンスサーは、本場アメリカでも減少しつつあるようです。稀少動物ではありませんが、やはり次世代(というか後輩)を育てなければ、スクエアダンスは過去の化石となってしまうかもしれません。千代田SDCは毎年数十名のビギナーさんをコンスタントに育てていますが、世界中を見渡してもこのようなスクエアダンスのクラブは他に類をみないのではないかと思われます。会場は混み混みで、皆さん大変かもしれませんが、将来のためにスクエアダンスを少しでも広めていきたいものですね。

45. 発声のお話し
 何の気なしに毎回例会でコーラーさんのコールを聞いていますが、もしマイクやスピーカーがなければどうなるでしょうか。1〜2セットくらいでしたら、ギター片手に何とかなるかもしれませんが、千代田のような大所帯になると、まずコールは聞き取れなくなります。まさに会長がいつもお話しになっているように、トーマス・エジソンの大発明のおかげでしょうね。ではそれ以前に、大声で何かを伝えたい時はどうしていたのでしょうか。

 クラシックのオペラをお聴きになった方は多いと思いますが、その時の発声の仕方が独特のものであったことを覚えておられるでしょうか。そう、ノドの奥を開くような感じで、お腹から声を出す(ベルカント発声法といいます)あの声です。今はマイクを使うミュージカルが全盛ですが、マイクやスピーカーのない時代では、大音響のオーケストラ相手に自分の声を聞かせる時にはその様な独特の発声法が必要でした。

 私たちが声を出す時、喉頭(いわゆるのどぼとけのある部分)という器管の中に張られている2本の声帯を、肺から出す空気を利用して震わせ、その振動を利用しています。これはギターやバイオリンに張られている弦と同じで、緩く張れば低い音が、強く張れば高い音がでます。音の高低は声帯にくっついている筋肉を使って調整しますが、音の強弱は、声帯を通る空気の量、および声帯の太さで決まります。歌手は楽譜に書かれている音の高さ、強さ、それに歌詞に込められた情感をこの小さな器官で行っているわけです。よく応援団や駆け出しの落語家が、人気の少ない河原などで発声練習をするといいますが、声の大きさ(というより通りやすさ)は訓練により増強することができます。人間の身体はよくできていて、使えば使うほどその部分は発達します。発声に関しても同じですが、練習で声をつぶさなければ良い声にならないという方法は、医学的にはあまりお勧めできません。

 声をつぶすということは、声帯を酷使して、声帯に炎症を起こすことです。炎症を起こした組織は、炎症が治る時にその部分が分厚くなりますので(声帯が太くなるということ)、声の通りがよくなるということになります。風邪をひいた時など、治りかけの頃に声変わりしたようになるのは、この炎症性変化によるものです。確かに応援団のような練習法でも声は太くなりますが、いわゆるだみ声(ドスの利いた声)で、オペラを唄う歌手のような美声にはほど遠いものとなってしまいます。

 声楽家もある程度の声量は必要ですので、大きな声を出す練習はしますが、それよりも大切なのは、喉頭の部分の体積を増やすことです。喉頭は喉頭軟骨でできており、その部分はあまり伸び縮みしませんが、それ以外の筋肉でできている部分をできるだけ押し広げるようにして、喉頭の体積を増やします。すなわち声帯がスピーカーだとすれば、喉頭はスピーカーボックスとなるわけで、この拡張した喉頭空間が音の延び、通りをよくすることに貢献しているのです。喉頭を押し広げるように発声する方法がベルカント奏法で、これはオペラの歌手に限らず、浄瑠璃、常磐津、小唄といった日本古来の唄、節回しにもみられる方法です。いずれもマイクのない時代に、観客席の隅々までセリフ、唄いなどを届かせる工夫だったといえるでしょう。この発声法の欠点は、ふだん使っている以上に喉頭を拡張させる筋肉を使いますので、早い節回しが難しいことが挙げられます。早い部分でも歌詞をハッキリと判るように発声することはかなりの熟練を要します。オペラではそういった部分がいわゆる聞かせどころとなっており、うまく行った場合は拍手喝采となります。

 スクエアダンスは、リズムに乗った快適なテンポが特徴です。このような音楽ではオペラの発声法は極めて不利となります。とくに複雑なコールをダンサーに伝えなければなりませんから、マイクのない時代では、たき火を囲んでせいぜい1〜2セットにコールを掛けるくらいが関の山であったことでしょう。その時代には、いまのアドバンスやチャレンジにでてくるような複雑なコールは思いもつかなかったことでしょう(考えついてもコールできない?)。近代スクエアダンスが複雑なコールを次々と作成し、現代のような巨大なコール群が完成した背景には、マイク、アンプ、スピーカーの発明なしには考えられないと思いますが、如何でしょうか。

46. 蓄音機今昔
 千代田のメンバーさんの多くは子どもの頃レコードを聴いたことがあると思います。今はレコードは貴重品で、ものによってはプレミアが付くという時代になりました。若い世代では、レコードなんてみたこともないという人もいるくらいで、さらに時代が進むと、音楽はインターネットでダウンロードというスタイルが今のはやりですから、CDすら見たことがないという世代が出現するかもしれません。

 レコード世代でもさらに昔のことをご存じの方は、子どもの時、レコードを聴くのに電源を使用しなかったことを覚えておられるかもしれません。手回し蓄音機といって、レコードを回転させる動力はゼンマイばねを用い、音はレコード盤に刻まれた音溝による針の振動を大きなラッパのような特殊な増幅器で大きくして聞かせていました。当然、それほど大きな音はでませんので、昔はレコードを聴く時は、いすにきちんと座って、かしこまって拝聴したものでした。

 レコードの音溝はどうやって削ったかというと、音をラッパのようなもので集めて、その振動を直接レコード盤に刻み込むという方法でした。レコード原盤はロウなどの軟らかい物質で作られており、それを元にしてレコード盤が作られていました。ですから、最初の頃は生録音が当たり前で、しかも78回転のSPレコード1面にはいる曲の長さは10分くらいが限界でしたから、演奏者は時計とにらめっこし、時間がかかりそうだと、後半は前半に比べてかなりテンポが速くなるといった迷演奏も多かったようです。

 時代が進みますとレコードの音溝からでる針の振動を、電気を使って増幅するという方法が考え出されました。その電気信号を別の場所に伝え、その部分に音を出す装置を組み込むことにより、今のアンプ、スピーカーシステムが完成しました。音を増幅しますから、レコード盤からの振動は小さくて済むわけで、レコードの回転速度も遅くても大丈夫となり、33回転のLPレコードが誕生しました。これだと片面で30分
くらい録音できましたので、演奏者も余裕を持って録音に望むことができるようになり、いわゆる名演奏が続々と誕生するようになりました。

 今、千代田の使用しているアンプ、スピーカーシステムは、レコードだけでなく、CD、MD、さらにコンピュータ用のMP-3という音源も再生できるようになっており、さらにコールもコンピュータが作成してくれるということですから、昔からみれば信じられないような時代になっています。ただ個人的には、コンピュータで作成したコールも意表をついたものが時にありますので面白いのですが、やはりコーラーさんが頭をひねって、ああでもない、こうでもないといいながら(みたことはありませんが、おそらく)、四苦八苦して作成されたものの方がまだまだ面白いと思っています。



47. 食べ物と健康
水曜例会は午後6時から始まり9時に終わります。この時間帯は、いわゆる夕食のゴールデンタイムとなりますが、皆さん、食事はどうしておられますか? 早めに軽く済ませて、途中でスナックをつまみ、家に帰ってからまた何かを食べるという方が多いと思いますが、医学的にいえばこれはあまりよいことではありません。

歴史的にみると、三食きちんと食べるようになったのはわが国では江戸末期〜明治維新以後で、比較的最近のようです。それまでは朝、夕の二食で栄養を補っていました。ヨーロッパでも三食となったのは社会が安定したルネサンス以後で、ギリシャ、ローマ時代は二食であったようです。今と違って食事の準備や食材の手配は、いわゆる文明社会でなければなかなか大変だったのでしょう。ただどの時代においても、ねる前と朝起きてからの2回は食事を取っていたと考えられます(飢饉の時や戦争時などは除く)。やはりエネルギー補給という点から、最低12時間おきに栄養を補わなければ、生きていく上で大変なハンディーになるということに自然に気付いていた(というよりお腹が減って寝られない?)のでしょう。

生物は生きていく上でエネルギーが必要です。人間でいえば食べられなくなったら生きていけないということです。今でこそ点滴など医療の進歩で何も食べなくても生存することは不可能ではなくなりましたが、近代医学が発達する前は、病気になった場合、その患者さんの食事管理は極めて重要でした。中世のヨーロッパで恐れられた伝染病(ペスト、コレラなど)は、病原体で死ぬ人も多かったのですが、栄養失調症で亡くなられた方も多かったものと思われます。現在では、今はやりのインフルエンザでも、点滴(輸液)療法や特効薬(タミフル)のおかげで、たいていの場合は回復することができます。

例会は週1回ですし、毎日規則正しい健康な食生活をしていればそれほど心配することはないでしょう。ただ、ダンスレベルによっては週に3〜4回(?)、ダンス以外の趣味をお持ちの場合も週に何回かはきちんとした夕食がとれないということが起こりますが、これは健康上好ましくありません。あとでチムニーに行くから平気とお考えかもしれませんが、やはりダンスの前には軽く何かを召し上がっておいた方がよいと思います。運動は水分の消失を早めますので、水分はマメに補給しましょう。血液濃縮は脳梗塞、心筋梗塞発症の元となります。

ダンスの後はいくら日本酒が好きな方も、まずはビールとなると思います。ビールはアルコール度数が低く、ほとんどは水分ですので、運動の後のお酒としては最適と考えられます。医学的にはいくら低いとは言えアルコール飲料ですので、乾杯は水分を補給してからの方が好ましいのですが、ビール好きのあいさんとしては難しいところですね(医者の不養生?)。

48. メロディーの発展性
メロディーメーカーとして有名なのは、モーツアルト、チャイコフスキーだと思います。有名な曲の出だしを聴くと、大抵の方は「ああこれね」と思い出す曲ばかりです。この2大作曲家の曲は、単にメロディーがきれいというだけでなく、発展性があることでもよく知られています。作曲家にとって、よいメロディー、発展性のあるメロディーを創作できるということは、作曲家としてメシが食えるかどうかの境目となります。音楽、美術といった芸術分野は才能がすべてですから、音大を出たからすぐに大作曲家になれるというわけではなく、大部分の凡人は別の道に(音楽教室の先生など)活路を見いだすことになります(キビシイね)。

もう少し作曲という仕事を考えてみましょう。作曲は抽象的なものもありますが、多くはあるイメージ(たとえばアクション映画など)があり、それに合わせて曲を作ることになります。アクション映画なら、力強い、キビキビした曲を作ることが要求されます。よいメロディー(主題といいます)ができあがると、まずその部分を演奏させ、その後に主題を発展させて曲をふくらませていきます。その後は少し別の方法で発展させて(第2主題ともいうべき別のメロディーを持ってくることもあります)、最後に盛り上げるというのが一般的な方法です。このように曲を盛り上げることができるメロディーを発展性のある主題といいますが、その様な主題はそう簡単には創造できません。

クラシックの作曲家では、先に述べましたモーツアルト、チャイコフスキー以外では、ベートーベンが主題の発展性という意味では群を抜いているとされています。年末になると流れてくる第九交響曲の第4楽章、通称「歓びの歌」の主題はその代表で、単純なメロディーですがその発展性は無限の広がりがあります。最近の曲ではディズニーのアニメ(昔の白雪姫やピノッキオなど。最近のアニメは感心しませんね)に使われている主題が発展性に富んでいます。スクエアダンスでもよく使われる「世界はひとつ、It's a Small World」も音楽学的に素晴らしく発展性のある主題とされています。

スクエアダンスのコールの組み立ても作曲と似たところがあります。ヒトのまねをすることは簡単ですが、自分のオリジナルの組合せ(しかもひとつひとつがよく知られていて、ダンサーのボディーフローも考慮されている)を思いつく才能は、一種の芸術といえるかもしれません。そういう意味では難しいレベルのコールよりも、ベイシック、メインストリームでの「あっ」といわせるようなコールの組み立ての方がコーラーさんの腕の見せ所かもしれませんね。

49. 反射神経とスクエアダンス
 スクエアダンスはコールを覚えなければ踊れません。コールの種類はチャレンジのレベル(C4)までいくと1000を越えるいわれており、これをすべて覚え込んで、コールを掛けられた瞬間に身体を動かすのは高齢になればなるほど困難となります。そのため各レベルで楽しく踊れるように、ベイシック、メインストリーム、プラスなどの段階に分かれており、それぞれのレベルで掛けてよいコールが決まっています。ただ、最低限は覚えておかなければならないコールがあり、それがベイシック、メインストリームのコールです。ビギナーの頃、先輩がどうしてあんなに早くコールに反応して踊れるのだろうと不思議に思われた方も多かったのではないでしょうか。これはある程度ベテランとなっても同じで、メインストリームがすいすい踊れるようになり、プラスに進むと、途端に難しく感じるといった経験はどなたにもあると思います。

 では、どうして躍り込んだ人とビギナーとでは差が出るのでしょうか。人間の行動はどれもそうですが、慣れ親しんだものは考えなくても身体が動く(身体で覚える)ことが知られています。自動車の運転に例えると、免許取り立ての頃は運転に集中し、同乗者と話をする余裕もありません。

それでも危なっかしくヒヤヒヤの連続ですが、慣れてくるとラジオを聞いたりお隣とおしゃべりしていても安心して同乗できるようになります。これと同じで、結局は慣れてしまう(コールの意味をよく理解して、瞬時に身体を動かせるよう訓練する)ことに尽きます。ベテランダンサーも当然ですがビギナーの時代はありましたし、その時は同じようにうまく踊れないという悩みを抱えていたと思います。その時期を過ぎても上のレベルを目指すと、同じような壁にぶつかることとなります。ある程度躍り込めば、程度の差はありますが、皆さん絶対にうまくなりますから、焦らず少しずつ努力を積み重ねていくことが大切です。このような努力を最近の若い人は嫌う傾向がありますが、スキルを積み重ねていくということはすべての職業において大切なことですから、若い人ほどスクエアダンスを通じてこのような歓びを学んで頂きたいと感じています。

50. 故、中澤久枝さんに捧げる言葉
 抵抗物のないところに、創造という行為はない。(小林秀雄)

物を創り出す、創造するという仕事に限らず、どんな仕事でもやり遂げ、成就し、成功させるためには大きな苦労があるし、困難にぶつかり邪魔が入る。それに、あくまでも戦っていかなければ、良い仕事はできない。素晴らしい立派な芸術を創り出す天才と言われるような人物には、特別の才能や技術があるから、私たちのように苦労はないだろうと思うのは間違いだ。私たちはなるべく苦労しないで、楽にやり遂げる方法を考え、その道があればそれを選んでしまう。しかし、素晴らしい物を成功させようとする人たちは、楽な道は決して選ばず、進んで困難な難しい道を選ぶ。苦労の必要がないような場合でも、わざわざ苦しい道を発見して努力する。

 中澤さんはC4ダンサーとして知られていました。詳しくは知りませんが、C4となると、コールの数はバリエイションを加えれば軽く1000を越えると思います。メインストリームのわずか(!)50のコールでも難しく感じる凡人からすれば、気の遠くなるような数です。しかも単に覚えているだけではダメで、コールを掛けられた瞬間に反応しなければなりませんから、コールの数が増えれば増えるほどダンサーの努力も並大抵ではないことが理解できます。

 一般的にダンスレベルが上がってくると、うまく踊れる人とばかりセットを組もうとする傾向があります。これは難しくなればなるほど、下手な人のカバーができなくなる(すなわちセットが壊れるのを嫌う)からです。中澤さんはそのようなことがなく、例会でもビギナーさんを積極的に誘っておられました。個人的な話で恐縮ですが、小生がC1を始めた頃も、下手くそなダンスに付き合って頂き、カバーしてもらったことがありました。

 中澤さんは仕事でもダンスでも、その笑顔の陰で血の滲むような努力を積み重ねておられたのだと思います。心よりご冥福をお祈り申し上げます。



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